大阪地方裁判所 平成10年(モ)4792号 決定 1999年9月06日
申立人(原告)
北川清子
申立人(原告)
井上千香子
申立人(原告)
笠岡由美子
申立人(原告)
黒瀬香石
右四名訴訟代理人弁護士
小林保夫
大野町子
谷智恵子
宮地光子
正木みどり
横山精一
雪田樹里
越尾邦仁
島尾恵里
原田恵美子
原野早知子
相手方(被告)
住友金属工業株式会社
右代表者代表取締役
中村爲昭
右訴訟代理人弁護士
高坂敬三
夏住要一郎
鳥山半六
主文
申立人らの申立てを却下する。
理由
一 申立ての趣旨
相手方は、大阪地方裁判所(基本事件平成七年(ワ)第七九九二号の係属部)に対し、相手方が、その事務技術職掌に属する従業員の人事考課のために平成三年度から平成七年度まで用いた「C職処遇運営制度の概要」と題する書面(以下「本件概要」という。)及び「人事関連帳票の作成の手引き」と題する書面(以下「本件手引き」という。以下、本件概要と併せて「本件各文書」という。)を提出せよ。
二 申立ての理由
1 文書の趣旨
(一) 本件各文書は、いずれも、就業規則及び労働組合との職分制度協定(能力評価要綱)に規定上の根拠を置き、相手方における人事考課の基準及び手続を記載した文書であり、本件概要は、年齢区分別・評価区分別のモデル人員分布としての別表、査定区分・評価区分・給与係数の対応関係を示す別表、年齢区分と学歴・年次の対応関係を示す別表が付されている。本件概要においては、高卒女子は「一般職」の査定区分とされ、高卒男子はこれと異なる査定区分とされており、それぞれ評価区分・給与係数が異なっているが、給与係数は「一般職」の査定区分が最も低く抑えられている。また、本件概要によれば、高卒男子は、標準年齢二八歳までに専門執務職二級、標準年齢三一歳までに専門執務職一級、標準年齢三五歳までに企画総括職二級、標準年齢三七歳までに企画総括職一級に昇進し、管理補佐職には、早い者で標準年齢三七歳で、遅い者でも標準年齢四三歳までに昇進するように運営されていること、高卒女子は、専門執務職二級に早い者で標準年齢三五歳、遅い者で標準年齢四〇歳で昇進するよう運営されていることが記載されている。
(二) 本件手引きは、学歴区分と査定区分並びに評価区分の対応関係を示す別表、年齢区分別・評価区分別の職分職級運営概要としての別表、能力評価区分と評価区分の対応関係を示す別表が付され、査定区分ごとに、対応する評価区分が定められ、さらにその評価区分に対応する能力評価区分が定められているが、それによれば高卒男子に適用される査定区分に対応する能力評価はB+以上とされているのに対し、高卒女子の「一般職」の査定区分に対応する能力評価は、B以下の能力評価が可能とされている。
2 文書提出義務の原因
本件各文書は、民事訴訟法二二〇条三号前段、同号後段に該当する。また、同条四号のイ、ロ、ハのいずれの除外事由にも該当しない。
(一) 民事訴訟法二二〇条三号前段該当性
本件各文書は、同号前段の挙証者の利益のために作成された文書(以下「利益文書」という。)に該当する。
挙証者の利益のために作成された文書とは、挙証者の権利義務を発生させるため、または、後日の証拠とするために作成され、挙証者の地位、権利、権限を明らかにする文書をいうが、挙証者のみの利益のために作成されたものに限られず、間接に挙証者の利益を含むものでもよいとされているのであり、本件各文書は、申立人らの昇進、昇格、賃金等に影響を及ぼす人事考課の基準及び手続が記載されたものであるので、申立人の重大な利益にかかわるものであり、利益文書に該当するものである。
(二) 民事訴訟法二二〇条三号後段該当性
本件各文書は、同号後段の挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成された文書(以下「法律関係文書」という。)にも該当する。
法律関係文書は、挙証者と文書の所持者との法律関係それ自体を記載した文書のほか、その法律関係に関係のある事項を記載した文書や法律関係形成過程で作成された文書を含むところ、本件各文書は、前述したように、申立人らの昇進、昇格、賃金等に影響を及ぼす人事考課の基準及び手続が記載されたものであるので、法律関係文書に該当する。なお、相手方は、所持者が専ら自己使用目的で作成した文書は、法律関係文書に該当しないというが、民事訴訟法は、自己使用目的で作成された文書であっても法律関係文書から除外するものではない。
(三) 民事訴訟法二二〇条四号除外事由非該当性
本件各文書は、同号イ、ロ、ハの各文書に該当しない。相手方は、本件各文書が同号ハの専ら文書の所持者の利用に供するための文書(以下「自己使用文書」という。)に該当するというが、これに該当しないことは以下のとおりである。
(1) 自己使用文書除外の趣旨
自己使用文書の概念は、民事訴訟法附則二条による改正(削除)前の明治二三年法律第二九号民事訴訟法(以下「旧民事訴訟法」という。なお、これと対比して、現行民事訴訟法を「新民事訴訟法」ともいう。)三一二条三号所定の利益文書、法律関係文書について解釈論的に拡大が図られてきた中で、これを制限するために用いられてきたものである。しかし、新民事訴訟法においては自己使用文書は一般的文書提出義務の除外事由として規定されたものであり、旧民事訴訟法における基準がそのまま新民事訴訟法に該当すると考えるべきではない。
旧民事訴訟法においては文書提出義務は限定的義務とされていたが、実質的武器対等や真実発見の観点からは問題点が多く、特に構造的に証拠が偏在するいわゆる現代型訴訟においては、著しく事案の解明を阻む要因となるので、新民事訴訟法では、第二二〇条四号において、挙証者と文書との間の特別な関係の有無を問うことなく、文書の所持者に、訴訟に協力すべき国民一般の義務として提出義務を規定した。この一般義務の例外として、法二二〇条四号イ、ロ、ハの除外事由が設けられているのであるが、以上のような新民事訴訟法の趣旨からすれば、除外事由は厳格に判断されるべきものとなる。右除外事由は、いずれも情報利用の例外として訴訟資料が制約を受けてもやむを得ない場合のものであり、文書の提出に優越する法益が存する場合を列挙したものであると考えるべきである。従って、新民事訴訟法の下での自己使用文書の概念は、一般的義務を否定するに足る程度に所持者の利用の排他性が認められる場合に限定されるべきである。
(2) 自己使用文書の要件
こうした前提に立てば、自己使用文書か否かは、主観的側面からではなく、文書の性質や記載内容から客観的に判断すべきこととなる。
自己使用文書は、日記帳や心覚えのメモ等に限られ、法人の内部文書であっても、独立完結した文書、また組織内の公式文書ともいうべき文書、他の部署に利用されたり、その調査の対象になりうる文書などは自己使用文書に該当しない。法人においては自身が一個の法的主体であるとともに、内部に多様な法律関係が存在するという二面性を有するのであるから、その意思決定過程が純粋に私的領域とはいえず、法人の内部文書についても、内部文書であることから直ちに自己使用文書性が肯定されるものではない。そこで、客観的に見て作成者が自己固有のために作成し、しかも、その内容が公表されることをまったく予定していない文書であって、それが後から公表されたのでは文書作成の趣旨が損わ(ママ)れるというものだけが自己使用文書にあたると解すべきである。
(3) 自己使用文書非該当
本件各文書は、人事考課の担当者が人事考課を行うに当たって、その人事考課の基準や手続を定めたものであり、それ自体独立完結した文書であり、組織内の公式文書というべきもので、日記帳や心覚えのメモのようなものでないことは明らかである。
また、人事考課は、従業員の昇進、昇格、賃金等労働条件に重大な影響を及ぼすものであるから、客観的にかつ公平に行なわれなければならないものであり、使用者は、従業員に対して、客観的で公正な人事考課をする義務を負うものである。そして、右の客観性、公平性を担保するために、人事考課の基準と手続を被考課者に明らかにすることこそが必要である。それが保障されてこそ、人事考課が被考課者の納得を得られるものになる。この点から、人事考課においては、考課の結果とともに、人事考課の基準や手続が被考課者に明示されることが必要である。今日、人事考課における評定者の恣意を排除するために自己申告制度を採用する例も多く、考課基準やその手続を公開する企業も多く見られるようになってきており、人事考課の公平性の要請から公開性が要求されているのである。このような要請からすれば、本件各文書は、被考課者に公開されなければならない性格を有する文書である。このように、本件各文書は、相手方が使用者として公正評価義務を尽くすために作成した文書であり、同じく考課のためのマニュアルでありながら、「事務技術職掌・特務・医務職掌能力評価手引」と題する書面についてはこれを裁判所に提出していることからすれば、内容が公表されることをまったく予定していない文書ともいえない。
さらに、それが後から公表されることによって文書の作成趣旨が損わ(ママ)れるという性質のものでもない。
加えて、本件文書が提出されないことによって守られるべき保護法益は想定することができず、そのような保護法益は存在しないといわざるをえない。すなわち、相手方は、本件各文書を公にすることによって、相手方の経営状態の一部を示すことにつながると主張するが、これによって明らかになるものは、当該年度の人件費を推測できるという程度のものであり、毎年の株主総会で配付され、株主以外に流通する可能性もある計算書類からも知り得る程度の情報である。また、相手方は、社内の相対的な位置づけが低いと感じた従業員のモラルの低下を招くおそれがあるともいうが、その人事制度が能力主義的に、かつ公平に運用されているならば、むしろ従業員には積極的に知らしめるべきであり、そのことによって被考課者の納得を得ることになるはずのもので、何らモラルの低下を招くことはない。更に、相手方においては、平成七年七月に新人事制度が導入され、人事考課の形式も変更されているから、本件文書を提出したとしても、将来にわたって相手方の組織運営(人事考課)を阻害することもない。
以上によれば、本件各文書は、自己使用文書の要件に該当せず、相手方はその提出義務を有する。
(4) 所持者専用性
新民事訴訟法における自己使用文書の解釈は、文書所持者の主観的意図ではなく、文書の性質や証拠価値を客観的に判断して決定すべきであるところ、文書の性質については、前述のとおりであり、証拠価値についても、非常に重要なものがある。
本件各文書は、相手方の主張によっても、被考課者に対する査定の結果に影響を及ぼす内容が記載されているものであり、さらに、前記のとおり、高卒男子と高卒女子とで能力評価のあり方そのものに違いが設けられていること、また昇進についても高卒男子と高卒女子とでは、異なる運営が行われていることなど、本件訴訟における決定的に重要な事実が含まれている。
これらの点からするならば、本件各文書が、本件訴訟において果たすべき役割には極めて大きいものがある。かかる証拠としての重要性に照らせば、相手方の司法に対する協力義務を否定することはできない。このような文書は、自己使用文書とはいえない。文書の所持者の利用に供するための文書であるとしても、「専ら」所持者の利用に供するための文書とはいえないとして、文書提出義務の対象とすることこそ、社会的正義にかなうものである。
3 文書提出の必要性
相手方の事務技術職掌において、高卒男子従業員はほぼ一律の年功的な昇進経緯をたどっている一方、高卒女子従業員はこれと比較して著しく遅れたほぼ一律の昇進経緯をたどっている。これにつき相手方は、事務技術職掌の高卒女子の管理補佐職への昇進時期が男子に比較して遅れていることを認めながら、これが、もともと、「本社採用者」と「事業所採用者」とでは、採用の段階で要求される能力のレベルが異なっているのみならず、公正な能力評価の結果として右のごとき差異が生じたものであると主張するところであり、能力評価制度がどのような運用によってなされているのか、はたして公正な基準と手続に基づいて能力評価がなされているのか否かの点が、本件訴訟における重要な争点のひとつである。
本件各文書は、相手方の主張によっても、被考課者に対する査定の結果に影響を及ぼす内容が記載されているものであり、さらに、前記のとおり、高卒男子と女子で能力評価のあり方そのものに違いが設けられていること、また昇進についても高卒男子と高卒女子とでは、異なる運営が行われていることなどが記載されている。
これらによれば、右争点を明らかにする上で、本件各文書は不可欠であり、これに代え得るものは存在しない。なお、申立人らは、本件文書の一部の写しを所持しているが、それは不完全な一部であるから本件各文書全体の提出を必要とする。
三 相手方の主張
1 文書の存在
相手方は本件各文書が存在したことは争わないが、本件各文書は、毎年作成され、人事考課の評定者に限って配付されるものであり、人事考課に関する機密を保持する必要から、社内慣行上、評定者については、次年度にわたって保管しないことを基本としているので、申立人ら申立ての全ての年度について存在するものではない。
2 文書提出義務の不存在
(一) 民事訴訟法二二〇条三号前段該当性
利益文書とは、文書の作成目的が挙証者の利益にあることに着目し、挙証者がこれを証明手段として使用することを認めたものであり、したがって、利益文書に当たるか否かは、文書の作成目的によって決せられることになり、利益文書にあたるというためには、その作成目的の少なくとも一部において挙証者の利益のためであることを要する。しかるところ、本件各文書は、専ら相手方内部の人事担当者の利用に供することのみを目的としたものであり、間接にも申立人らの利益を目的として作成されたものではないから、利益文書ということはできない。
(二) 民事訴訟法二二〇条三号後段該当性
所持者が専ら自己使用目的で作成した文書は、法律関係文書に該当しないことは、旧民事訴訟法下の解釈として通説によって支持されてきたものであり、新民事訴訟法の制定はこの解釈に変更を加えるものではない。しかるところ、本件各文書は、実質的にも、その記載内容が高度の秘密性を有し、そもそも相手方と申立人らとの間の労働契約関係において作成義務もない文書であること、そして、その作成目的は専ら相手方の人事担当者の利用に供することにのみあり、後に他の目的で利用することが予定されたものではないこと等に照らせば、これが自己使用文書に該当し、法律関係文書に該当しないことは明らかである。
(三) 民事訴訟法二二〇条四号除外事由該当性
本件各文書は、同号ハの自己使用文書に該当するものである。
本件各文書は、相手方における人事考課に関し、大量従業員の査定を迅速かつ公平に行うための方法や手順を人事考課の評定者に示すとともに、当該年度の職分職級昇進、昇給及び職能点(増点分)の配分枠など、実質的に被考課者に対する査定の結果に影響を及ぼす内容を記載し、大量に行われる相手方の従業員に対する人事考課が公平公正に行われるよう、個々の評定者(部長限り)の便宜に供するとともに、個々の評定者の事務処理の円滑を図ることを目的として作成されたもので、人事考課という当該意思決定の過程(個々の評定者や考課の理由)を明らかにすることを目的として文書化されたものではないし、かつ、これが保存されることを予定された文書でもない。考課決定の適正が問題となった場合に、その決定過程を明らかにする資料として使用することが予定された文書でもない。また、その記載内容からも、専ら人事考課の評定者に対してのみ配付されるものであり、実際、これらの文書を所持しているのは、配付前は相手方の人事部門のみであり、配布後は、人事部門と個々の評定者のみであって、相手方の内部においてもそれ以外の者にはおよそ配付することも見せることも全く予定されていないものである。人事考課の方法は、相手方の裁量に委ねられているものであり、その内容を公に示すことは企業の経営状態の一部を公にすることにつながり、査定を受ける者に示すことは誤った期待や不安を与えることになるから、評定者以外に示さないことを前提に作成された文書である。したがって、本件各文書が、外部の関係のない者に見せることが予定されていない文書であることは明白であり、自己使用文書に該当することは明白である。
また、本件各文書を開示することは、意思決定過程の記録文書を開示するのと同様に、この種の文書の作成や保管を抑制することとなり、適正な組織の運営を妨げることになるのであって、この点からも、自己使用文書と解すべきである。
(四) 文書提出の必要性欠如
(1) 申立人らは、本件各文書又はその写しを所持しているから、相手方にその提出を求める必要性はない。
(2) 本件各文書は、個々の評定者が誰であったかとか、評定者がどのような理由でそのような人事考課を行い、それを誰が決裁したのか等の事実と無関係であることはもちろん、これを提出することによって申立人らが主張しているような、相手方の能力評価制度の運用が恣意的なものであり、「女子を差別する」という目的のために運用されていることの立証に資するものでもない。他方、これを公にすることは、すでに述べたとおり、相手方の経営状態の一部を示すことにつながるし、これを一般の従業員がみた場合、自らの給与や処遇について社内での相対的な位置づけが判明し、位置づけが低いと感じた従業員のモラルの低下を招くおそれがあり、また、右の水準やモデルが当年限りのものであるにもかかわらず、その内容が現在や将来も有効であると誤解する可能性もあり、そのことによって誤った期待や不安を生み出す危険があるのであり、このような相手方の重要な保護法益が無視されるべきいわれはないから、結局、本件では、これらの相手方の保護法益に優先する裁判上の保護法益は存在しないのである。
四 当裁判所の判断
1 本件各文書の趣旨等
(一) 本件各文書は、いずれも、法令、就業規則、労働協約に直接の根拠規定を持つものではないが、相手方が従業員に対する人事考課を行う上で、平成三年度から平成七年度までの各年度に、評定者における査定事務処理の円滑を図る目的で作成された処理要領であり、人事考課の経過や理由及び結果を明らかにすることを目的とするものではない。そして、人事考課を担当する評定者(部長かぎり)についてのみ配付されたものであって、これを公表することは全く予定されていない。
(二) 相手方における平成七年七月一日までの職分制度は、管理職を除く全従業員を事務技術職掌、技能職掌、特務職掌及び医務職掌の四職掌に分類し、申立人らが属する事務技術職掌は管理補佐職、企画総括職、専門執務職及び一般執務職の四職分に分け、更に、管理補佐職について1、他の職分について各1ないし3の職級に分けられている。
職分職級の昇進は、能力評価、基本職分点及び個人職分点に基づいて行われる。能力評価は、能力評価要綱に基づいて、七段階の能力区分に決定され、職分制度協定によって、能力区分内の運営区分として一一段階に細分化した評価区分を設け、各職分ごとに基本職分点が定められる。そして、これを査定期間中の欠勤日数に応じて修正し、これを前年度の個人職分点に加算したものが、当年度の個人職分点となる。個人職分点が所定の職分職級昇進資格点に到達すると自動的に昇進する。ただし、他に、選抜昇進制度も存在する。
また、賃金については、事務技術職掌の場合、基本給、職分給及び職能給から構成され、基本給は、初任基本給に昇給額及び年齢補正額を加算したものであり、昇給額は、昇給基準要綱に基づき、その基準の範囲で考課に基づいて決定され、職分給は職分基準単価に職分計数を乗じた額に職分定額基礎額及び加算額を加えて決定され、職能給は職能基準額に職能点を乗じた額に加算額を加えて決定される。
右の職分制度における職分職級の昇進、昇給のための人事考課は、原則として毎年一回(四月一日)行われることとされており、本件各文書はそのための実施要領として作成されたものであり、他に同種の要領として、事務技術・特務・医務職掌能力評価手引(<証拠略>)が存在し、これは書証として提出されている。
(三) 本件概要は、平成三年度より平成七年度までの、C職すなわち事務技術職掌の従業員に対する人事考課のために作成された文書であり、当該年度の職分職級の昇進、昇給及び職能点の配分枠を記載しているほか、年齢と評価に対応した年収の水準や職分職級のモデルなどが記載されており、査定した結果が従業員各人の給与や職分職級の変動にどのように結びついていくかが示され、右モデルから運用の実態を推し量ることができる。
本件手引きは、本件概要とあわせ、平成三年度より平成七年度まで人事考課のために用いられた資料である。その内容は、人事考課の手順、査定要領、作成する帳票類の解説とともに、本件概要を要約して、人事考課と処遇の関連についても示している。
本件各文書は、ともに、相手方における人事考課の運用の基準や指針を示すものを含むということができる。
2 民事訴訟法二二〇条三号前段(利益文書)の該当性について
同号前段の文書とは、挙証者の法的地位や権利もしくは権限を証明したり、基礎づける目的で作成された文書をいう。必ずしも、挙証者のみの利益のために作成された文書に限られないが、単に挙証者の法的地位や権利もしくは権限を明らかにする事実が記載されているにすぎない文書はこれに該当しないと解するのが相当である。
本件各文書は、いずれも、相手方における人事考課について、これを担当する個々の評定者の利用に供することを目的として作成された文書であり、その内容も実質的に処理要領というものであって、ただ、運用の基準や指針を含む部分があるものの、これをもって申立人らの法的地位や権利もしくは権限を証明したり、基礎づける目的で作成された文書ということはできない。したがって、本件各文書は同号前段の文書に該当しない。
3 民事訴訟法二二〇条三号後段(法律関係文書)の該当性について
同号後段の文書とは、挙証者と文書の所持者との法律関係について作成された文書をいい、法律関係それ自体を記載した文書のほかこれと密接に関連した事項を記載した文書を含む。
本件各文書は、事務技術職掌に属する従業員の人事考課に関する手順や職分職級の昇進、昇給及び職能点の配分枠、査定要領、また、年齢と評価に対応した年収の水準や職分職級のモデルなどを記載しているが、いずれも、人事担当者の利用に供することのみを目的として作成された運用上の処理要領であり、申立人らと相手方との雇用契約上の法律関係又はこれと密接に関係のある事項を記載した文書とはいえない。
申立人らは、相手方に公正な考課をすべき義務があるとし、その人事考課の基準、及び手続が記載された文書は法律関係を記載した文書であるというが、人事考課の基本的な事柄は、就業規則や労働組合との協定によって定まっているところであって、本件各文書が右基準や手続を定めているものではない。本件各文書は、相手方が人事考課を行う上で個々の評定者に配付した処理要領であって、運用上の細目的な手続を定め、また、当該年度の職分職級の昇進、昇給及び職能点の配分枠を記載したり、運用基準や指針を記載しているものの、未だ運用のための文書に止まるというべきである。運用における基準や指針あるいは手続を定める文書であっても、これが事実上、査定の結果に影響を及ぼすことは認められるものの、運用における基準や指針あるいは手続が労働契約の内容となっているとまではいえないし、これが申立人らに対する査定の結果に影響を及ぼすといっても、人事考課は基本的には人事権行使の範疇に属するもので、公平に査定すべきものではあるけれども、考課そのものには、使用者の裁量に属する部分も大きく、相手方との関係において、申立人らがこれを運用の水準まで明らかにすることを要求する根拠はない。これらによれは、本件各文書は、法律関係を記載した文書ないしこれと密接に関連する事項を記載した文書であるとは認められず、法律関係文書ということはできない。
4 民事訴訟法二二〇条四号除外事由について
(一) 相手方は、本件各文書が同号ハの自己使用文書に該当すると主張する。
同号は、司法への国民の協力義務をもとに文書の所持者に一般的提出義務を負わせたものであるところ、自己使用文書について右文書提出義務を免除したのは、自己の便宜や備忘のために任意に作成されるメモや組織内の意思決定過程において作成される純粋な内部文書などのように、専ら個人や組織内部の者の利用に供される目的で作成され、外部の者に見せることが全く予定されていない文書についてまで、文書提出義務を認めると、個人のプライバシーを侵害したり、組織の適正な運営に障害をきたすことになるからである。したがって、この自己使用文書に該当するか否かについては、当該文書の作成の根拠、目的、当該文書の客観的な記載内容、当該文書の使用状況、当該文書を提出することによる個人のプライバシーの侵害や組織の適正な運営に対する障害の程度等を考慮して判断するのが相当である。
(二) 本件各文書は、いずれも、法令、就業規則、労働協約に直接の根拠規定を持つものではない。そして、相手方が従業員に対する人事考課を行う上で評定者における査定事務処理の円滑を図る目的で処理要領として作成した文書であり、人事考課の経過や理由及び結果を明らかにすることを目的とするものでないことは前述のとおりである。これが配付された対象も、人事考課を担当する評定者(部長かぎり)に限られ、専ら相手方の人事考課の運用のために作成された文書であり、これを公開又は公表することは予定されていない。
本件各文書の内容は、個々の評定者が考課を行う上での運用上の細目的な手続であり、また、当該年度の職分職級の昇進、昇給及び職能点の配分枠を記載したり、運用基準や指針を記載しているが、実質的に運用上の処理要領であって、これらは査定の結果に影響を及ぼす事柄ではあるものの、査定基準というにはほど遠い。
申立人らは、人事考課は、従業員の昇進、昇格、賃金等の労働条件に重大な影響をあたえるものであるから、使用者にはこれを客観的で公正に行う義務があり、これを担保するために人事考課の基準や手続は被考課者に開示されるべきものであるという。確かに査定をうける被考課者にとって、自己がいかなる基準や運用により考課査定されるのかを知ることは重要であるが、相手方の人事考課の基準や手続を示すものとしては、就業規則(<証拠略>)、労働協約附属規定中の職分制度協定(<証拠略>)、事務技術・特務・医務職掌能力評価手引(<証拠略>)が証拠として各提出されており、本件各文書は、人事考課の基準そのものを示すものではなく、考課の運用についての処理要領にすぎない。ただ、運用上の処理要領といっても、これが申立人らの査定の結果に影響を及ぼすことは前述のとおりであるが、考課そのものには、使用者の裁量に属する部分も大きく、その運用の水準まで公開を要求できる根拠はない。
他方、本件各文書を公開することは、公開をしないことを前提に作成され、また運用されていたことからすると、被考課者について相手方における相対的な位置づけを明らかにすることになり、疑念を生じさせたり、また、誤った期待や不安を与える余地は大きく、更に、公開を意識して人事考課に関する文書の作成や保管を抑制することとなり、円滑な人事考課を妨げることになるなど適正な組織の運営を妨げるおそれもある。
(三) 申立人らは、本件各文書が証拠価値の高い文書であることから、自己使用文書とすべきでないともいう。確かに、本件各文書は、相手方における人事考課の運用の実態の解明に有益な面はある。しかし、これがなければ解明が不可能というわけではなく、単に、証拠価値が高いというだけで、文書提出義務を肯定することはできない。
申立人らの本件各文書の提出義務に関するその他の主張はいずれも採用できない。
(四) 以上によれば、本件各文書は、民事訴訟法二二〇条四号ハに規定するところの自己使用文書であるといわざるを得ないから、その提出義務は認められない。
5 よって、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 川畑公美 裁判官 和田健)
《更正決定》
【決定】
申立人(原告) 北川清子
申立人(原告) 井上千香子
申立人(原告) 笠岡由美子
申立人(原告) 黒瀬香
相手方(被告) 住友金属工業株式会社
右当事者間の頭書事件につき、平成一一年九月六日当裁判所が為した決定に明白な誤謬があったので、次のとおり決定する。
主文
右決定の当事者の表示中「黒瀬香石」とあるを「黒瀬香」と、「雪田樹里」とあるを「雪田樹理」と、「島尾恵里」とあるを「島尾恵理」と各更正する。
平成一一年九月一三日
大阪地方裁判所第五民事部
裁判長裁判官 松本哲泓
裁判官 川畑公美